[ケアビジネスSHINKA論 Vol.1948]

先達の言葉、重みがありますね(2)。

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

東京・北海道・宮城・新潟・静岡・愛知・大阪
・兵庫・広島・愛媛・福岡にて、

日本能率協会総合研究所主催・厚生労働省後援の

“介護現場(施設サービス)における生産性向上セミナー

が開催されるようですね。

講師は私もよく存じ上げている、

株式会社合TRAPE代表取締役 鎌田大啓様。

作業療法士として、

全国で様々な実績を挙げられているコンサルタントの方です。

関心をお持ちの皆様は、下記をご確認くださいませ。

https://kaigo-seisansei.jp/

では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■先達の言葉、重みがありますね(2)。
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●昨日、飲食店経営をされているA社長との会話から端を発し、皆様にも共有させていた
だいた、松下幸之助の言葉。「続きがある」との言葉で締めた昨日のメルマガですが、今
日は、その続きの内容を皆様にも是非、共有させていただきたく思います。以下、ご確認
下さいませ。

●「次の話は、あまりにも有名である。後藤清一の『叱り叱られの記』から引用する《部
分略》。“おっ!皆よう聞けよ。大将は泣いてはったで。よう聞けよッ”。昭和4年12月のこ
とである。師走の風は松下にも冷たかった」

●「同年7月の浜口内閣苦心のデフレ政策が裏目に出るに及んで、事情は一変した。月商
10万円の売り上げは、半分に急減。倉庫満杯。製品はどんどん累積する。あの街この街に
失業者が溢れ出る。物価暴落、倒産続出。松下の従業員も、解雇の不安で浮足立った」

●「密かに、整理すべき人の名前をメモし始めていた。窮状打開に、井植氏は、ついに折
から西宮で静養中の大将の枕元に走った。“松下始まって以来のこの窮状を打開する道は、
ひとまず従業員を半減し、生産を半減するほかありません”」

●「大将は病床で腕を組む。長い間、黙思し、しばし落涙されたという。そして口を開か
れた。“なあ、ワシはこう思うんや。企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きな
がら不安を覚える。松下という会社は、ええときはどんどん人を採用して、スワッというと
き、社員を整理してしまうのか。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや」

●「曇る日照る日や。一人といえども辞めさせたらあかん。ええか、一人も解雇したらあか
ん!”そして、沈着な指示が飛ぶ。工場は半日操業。従業員も半日勤務。生産半減。ただし、
社員の給与は全額支給すること。ビタ一文削ることはあいならぬ」

●「一方、店員は休日を返上して販売に回る。工場幹部も、昼からは販売に回る。井植氏は
小躍りする。異論のあろうはずがない。時を移さず、大将の意は全社に伝えられる」

●「ウォーッ。歓呼。嗚咽しながらの歓呼。大将、よう言うてくれはりました。売りまっせ、
やりまっせ。こみあげる感動に、皆突き動かさた。翌日から、井植氏を先頭に、店員、工場
幹部は、勇躍不況の街に散る。何としても売る。熱意、火の玉と化して、世間の沈滞した空
気をよそに、松下に恐ろしいほどの気迫がみなぎった」

●「わずか2カ月で、あれほどの在庫が、きれいさっぱりと空になった。社員一人ひとりの
顔に、未曽有の不況を突破していく歓喜さえうかがえた。やがて、半日操業中止。全社を挙
げて殺到する注文の消化に追われるようになった・・・・(引用ここまで)松下幸之助の、人を大
事にする思いは、生涯、変わることはなかった」・・・・

●・・・・さて、上記内容、皆様はどのようにお感じになられましたでしょうか?「松下幸之助
氏のエピソードは“時代錯誤”或いは“幸之助氏であるが故の特別な話”なのだろうか?それと
も・・・・」少しでも心に引っ掛かりを感じていただけた方は一度、時間を取り、思考を巡らせ
てみていただいても悪くないかもしれませんね^^

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、朝一番に神戸市内で打合せ。

終了後、愛知・豊田市へ移動し、

某クライアントとのプロジェクトミーティング。

終了後は異なるクライアント様の新規事業の
オープン準備に向かいます。

皆様は本日、どのような1日をお過ごしになられるのでしょうか?

では、互いに充実した1日となるよう、共に頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。