[ケアビジネスSHINKA論 Vol.2389]

「経営の出発点」について、示唆深いエピソードを思い出す機会がありました(了)。

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

「全国の100歳以上の高齢者が9月15日時点で

“9万526人”

になった」

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データ収集を開始した1963年(=老人福祉法が制定された年)の人数は、

“153人”

だったそうです。

次代を紡ぐ人間として、このトレンドを

“豊かさ”

に昇華させていかなければならないですね^^

関心をお持ちの皆様は下記をご確認下さいませ。

https://www.joint-kaigo.com/articles/1591/

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では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■「経営の出発点」について、示唆深いエピソードを思い出す機会がありました(了)。
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●松下幸之助氏が語った経営の定義「社員が奮い立つような、将来のあるべき姿を指し示
すこと」「実現までの段取りを明確に示すこと」「具体的に行動することすこと)」に言及
させていただいた後、更に思考が拡がる中、“命知元年”のエピソードについてご紹介さ
せていただいている先週末~昨日にかけてのメルマガ。

●松下電器の仕事には「人々を貧乏から救うという大変な使命があった」ことに気が付いた。
野心、野望のレベルを超え、志(=みんなの利益を大きくしたいという気持ち)が芽生えて
以降、松下電器は俄然として成長しはじめた、というところまでお伝えさせていただいた訳
ですが、

●本日は是非、その続きとして本題の最後の文章をご紹介させていただきたいと思います。
以下、ご確認下さいませ。

●当時、松下電器は1,000 人ぐらいの社員がいました。そのうちの168 人の幹部を集めて、
松下幸之助は自分が気がついた使命を発表するのです。そしてその発表の日、昭和7 年
(1932 年)5 月5 日を松下電器の新たな創業記念日とします。これを“命知元年”といい
ます。

●本当の使命を知った最初の年という意味。志に目覚めた年です。そこで発表した内容が
なかなかすごい。「松下電器はこれから250 年かけて世界から貧乏を追放する」というの
です。

●言葉は悪いですが、たかが1,000 人程度の中小企業の経営者が250 年計画を発表したの
です。常軌を逸した、とてつもないスケールです。その発表会では、社員にも決意表明を
させたらしいのですが、それは大変感動的だったと聞きました。

●私(筆者・上甲晃氏)はそのときはまだ生まれてもいませんでしたが、のちに松下電工
の会長になった丹羽正治さんという人がその日、新入社員でその場にいたというのです。

●丹羽さんによると、みんな異様な興奮に陥ったそうで、新入社員は壇上に立っても「ウ、
ウ、ウ・・・・・・」としかいえなかった。だけど、みんな不思議に250 年生きられる気がした
というわけです。

●これはいうなれば集団催眠です。しかし、人間とは実際にそういうものです。250 年計
画に心をうち震わせると、250 年生きられるような気がしてくるものなのです。私は、こ
の発表会こそ松下電器が松下幸之助の志に染め上げられ、目覚めた瞬間ではないかと思っ
ています。まさに命知元年、志の元年です。

●このように松下幸之助は中小企業の経営者であったころから、100 年、200 年というと
てつもなく長い時間の中で考えていました。その意味では「国家100 年の計」を国の政治
にも必要だと考え、松下政経塾を起ち上げたのは当然だったのでしょう・・・・

●・・・・さて、5回にわたってお伝えさせていただいた“命知元年”の内容、皆様はどのように
お感じいただけましたでしょうか?少しでも心に引っ掛かりを覚えていただけた方は一度、
時間を取り、自社の経営を見つめ直す一つの契機としていただいても面白いかもしれませ
んね^^

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、午前中の便で中部国際空港から北海道・札幌へ移動。

午後はクライアント法人様との打合せが続きます。

皆様は本日、どのような1日をお過ごしになられるのでしょうか?

では、互いに充実した1日となるよう、今日も共に頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。