[ケアビジネスSHINKA論 Vol.2212]

数年ぶりに“とあるエピソード”を思い出しました。心が奮えますね、やはり。

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

一昨日の勤労感謝の日。

息子から

“感謝状”

をいただきました^^

そこには日々の感謝の言葉と共に、

「これからも頑張ってね!」

という励ましの言葉が(苦笑)。

「よっしゃ、任せとけ!」

リフレッシュと共にエネルギーを充填できた、

束の間の貴重な一時でした^^

では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■数年ぶりに“とあるエピソード”を思い出しました。心が奮えますね、やはり。
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●先日、関西地区の介護経営者(A社長)と意見交換させていただいた時の事。A社長の波
乱万丈、でも、筋が通った、骨太・胆力溢れる経営者ヒストリーを伺う中、「何となく被
るものを感じるなぁ」という想いと共に頭に湧き上がってきた、松下幸之助氏のエピソー
ドがありました。それは、

●松下幸之助氏・井植歳男氏という両巨頭の薫陶を受け、三洋電機株式会社の副社長を務め
られた後藤清一氏が著した『叱り叱られの記』に書かれていたもの(一部改変)。本日は是
非、皆様にも私が思い出したエピソードをお伝え致したく、本日のメルマガでご紹介させて
いただきたく思います。以下、ご確認下さいませ。

●「おっ!皆よう聞けよ。大将は泣いてはったで。よう聞けよッ」・・・・昭和4年12月のこ
とである。師走の風は松下にも冷たかった。同年7月の浜口内閣苦心のデフレ政策が裏目
に出るに及んで、事情は一変した。

●月商10万円の売り上げは、半分に急減。倉庫満杯。製品はどんどん累積する。あの街こ
の街に失業者が溢れ出る。物価暴落、倒産続出。松下の従業員も、解雇の不安で浮足立った。

●密かに、整理すべき人の名前をメモし始めていた。窮状打開に、井植氏は、ついに折から
西宮で静養中の大将の枕元に走った。「松下始まって以来のこの窮状を打開する道は、ひと
まず従業員を半減し、生産を半減するほかありません」大将は病床で腕を組む。長い間、黙
思し、しばし落涙されたという。そして口を開かれた。

●「なあ、ワシはこう思うんや。企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きながら
不安を覚える。松下という会社は、ええときはどんどん人を採用して、スワッというとき、
社員を整理してしまうのか。大をなそうという松下としては、それは耐えられんことや。曇
る日照る日や。一人といえども辞めさせたらあかん。ええか、一人も解雇したらあかん!」
そして、沈着な指示が飛ぶ。

●工場は半日操業。従業員も半日勤務。生産半減。ただし、社員の給与は全額支給すること。
ビタ一文削ることはあいならぬ。一方、店員は休日を返上して販売に回る。工場幹部も、昼
からは販売に回る・・・・井植氏は小躍りする。異論のあろうはずがない。

●時を移さず、大将の意は全社に伝えられる。ウォーッ。歓呼。嗚咽しながらの歓呼。大将、
よう言うてくれはりました。売りまっせ、やりまっせ。こみあげる感動に、皆突き動かさた。
翌日から、井植氏を先頭に、店員、工場幹部は、勇躍不況の街に散る。

●何としても売る。熱意、火の玉と化して、世間の沈滞した空気をよそに、松下に恐ろしい
ほどの気迫がみなぎった。わずか2カ月で、あれほどの在庫が、きれいさっぱりと空になっ
た。社員一人ひとりの顔に、未曽有の不況を突破していく歓喜さえうかがえた。やがて、半
日操業中止。全社を挙げて殺到する注文の消化に追われるようになった・・・・(引用ここまで)

●・・・・さて、上記抜粋、皆様はどのようにお感じになられましたでしょうか?少しでも何か
を感じていただけた方は一度、時間を取り、自らのマインドに落とし込んでみていただいて
も悪くないかもしれませんね^^

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、朝からオンラインミーティングが3件。

終了後、秋田県南部へ移動し、

クライアント法人様との面談です。

皆様は本日、どのような1日をお過ごしになられるのでしょうか?

では、互いに充実した1日となるよう、共に頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。