[ケアビジネスSHINKA論 Vol.2651]

個人的に大好きな歴史的経営者の言葉・エピソードです(2)

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

11月1日に開催された、財政制度分科会。

従来と比較してもそれほどシビアな指摘は為されていない
ような印象も受けますが、

それでも、

“訪問看護の見直し(特に医療保険領域)”

や、

“同一建物減算の下げ幅拡大”

なども求められています。

あらためて、関心をお持ちの皆様は、下記をご確認下さいませ。

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/20231101zaiseia.html

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では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■個人的に大好きな歴史的経営者の言葉・エピソードです(1)
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●「鈍なるものは大を成す道に通ずる」「事業を為し遂げるには、“運・鈍・根”の三つが
なければならぬ。小利口に立ち回って小策を弄して成功しようというのは、決して成功の
要諦ではない。成功は自分が尽くすだけ尽くし、かつ天命を待つことで初めて得られる」・・・・

●そんな言葉を残された、古川財閥の中興の祖、古川市兵衛氏。今日は是非、私自身、こ
の言葉を初めて知った時に読み、大きな“気付き”を覚えたエピソードを皆様にも是非、共
有させていただきたいと思います。以下、ご確認下さいませ。

●明治の初め、三井組と並ぶ大財閥として権勢を誇っていた小野組が、突如として破綻す
る大事件が発生しました。当時、幾人もいた小野組の番頭たちがいち早く姿を消し、自ら
の身の安泰を図った中、ただ一人、当時、42歳だった古川は、自分の全資産を債権者の前
に投げ出して主家の恩義に報いようとした、と言います。

●当時、市兵衛は、自らを“鈍才”の最たるものだと考えており、また、鈍才なるが故に、
何事にも正直、かつ誠実に取り組まなければならないと考えていました。そこで、お世話
になった小野組の“経営破綻”という非常事態に直面した時も、愚直に“鈍”を実行し、裸一
貫から出直すことにしたのです。

●ところが、そうした市兵衛を世間がそのまま朽ち果てさせるはずもありません。この、
古川市兵衛の誠実な行動を見ていた渋沢栄一が、「市兵衛は信頼に足る人物である」との
言葉を発し、彼を全面バックアップすることを決めます。

●結果、渋沢氏の支援のもと、小野組が破綻してからわずか9か月後の明治8年8月、古川
氏は新潟県にある草倉銅山を買収し、銅山経営に乗り出し、以降、銅山経営一筋に打ち込
む中、足尾銅山を中核とする古川財閥の礎を築き上げていきました。

●古川氏は、晩年、自らの信念を次のように語ったと言います。「人間は、とかく都合の
悪いことをうまく切り抜けようとして取り繕って話す、という癖を有している。しかし何
事もありのままに話すのが、もっともうまくゆく道なのだ。これは生産上の事でも、販売
事業の事でも変わらない」・・・・

●・・・・さて、上記エピソード、皆様はどのようにお感じになられましたでしょうか?少し
でも心に引っ掛かりを感じていただけた方は一度、時間を取り、何か自分事に引き付けて
考えてみていただいても有意義かもしれませんね^^(私もあらためて、そうします^^)

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、午前中は札幌市内にて、

某金融機関の医療・介護・ヘルスケア部署の方々と情報・意見交換。

午後はオンラインミーティングを行った後、

最終便で明日の仕事場所である広島へ入ります。

皆様は本日、どのような1日をお過ごしになられるのでしょうか?

では、互いに充実した1日となるよう、今日も共に頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。