[ケアビジネスSHINKA論 Vol.1519]

「働き方改革」が議論のテーマに挙がる度に思い出す、、超有名な経営者がいます。

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

「EPA(経済連携協定)の枠組みで来日し、

4年間にわたって施設などで介護サービスに
従事したキャリアを持つ外国人は、

試験を受けることなく在留資格「特定技能」へ
移行できる」

・・・

介護福祉士の国家試験に合格していなくとも、

直近の介護福祉士国家試験の結果通知書により、

“合格基準点の5割以上の得点であること”

“すべての試験科目で得点があること”

が証明できればOKだとのことです。

関心をお持ちの皆様は、下記をご確認くださいませ

https://www.mhlw.go.jp/content/12000000/000507781.pdf

では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■「働き方改革」が議論のテーマに挙がる度に思い出す、超有名な経営者がいます。
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●最近、様々な場所で話題に挙がる“働き方改革”。介護業界においても賛否両論、百花
繚乱の意見があがっているように見受けられますが、全国の経営者の意見をうかがう度、
「ホント、現場を変えていこうとするのは大変なことだよなぁ」と共感しつつも、

●他方、この話題が議論のテーマに挙がる度、私はよく、とある、超有名な経営者のこ
とを思い出します。それは、誰もが知っている松下幸之助(故)氏。今でこそ多くの業
界で当たり前になりつつある“週5日労働制(=週休2日制)”ですが、この仕組みを提唱
し、真っ先に実行に移したのが松下幸之助氏であることは意外に知られていないようです。

●松下幸之助氏が“週5日制”を提唱した当時は、「そんなの、はなから無理に決まってい
る」「休日を増やすことにかこつけて、給与を下げる気ではないか」等々、厳しい意見
が圧倒的大多数を占めていたそうです(或る意味、“働き方改革”に対する今の世の中の空
気感と似ている部分がある、とも言えるかもしれません)

●しかし、松下幸之助氏は“信念”をもって週5日労働制を掲げておられていました。「この
松下氏の視座・考え方は、今の我々に何を示唆してくれているのだろう?」本日は是非、
介護経営者・幹部である皆様にも私と同様、そのようなことをお考えいただきたく、当時の
松下幸之助氏の想いについて書かれたネット記事の内容一部抜粋してお伝えさせていただき
たく思います。以下、長文となりますがお読みくださいませ。

●「幸之助は、1960(昭和35)年の経営方針発表会の席上、社員に向けて「5年先(1965
〈昭和40〉年)に週五日制を実施したい」と宣言した。その宣言から2年後の1962(昭和37)
年、雑誌『放送朝日』(朝日放送刊)の企画で朝日放送副社長の平井常次郎氏と対談した際に、
幸之助は準備中の「週五日制」導入の狙いを打ち明けている。「松下さんは一週労働五日制論
者でしたね」という平井氏の言葉に、幸之助はこう答えた」

●「五日制が望ましいというぼくの議論には前提があるんです。その前提を忘れて五日論者だ
といわれると迷惑します。ぼくはいつも思っているんですが、日本の産業もこれからますます
生産性が向上してくるでしょう。どの工場も精巧な機械を配置して仕事をせねばならなくなる」

●「そうなってくると労働者は勤務中1分1秒のすきもなく、8時間なら8時間を全精神を集中
してやらねばならぬ。だから非常に疲労が出てくる。この疲労回復のために、一日余分に休養を
要するだろう。そこで週五日にしなきゃいけない」

●「経理にしても製造にしても、技術的かつ合理的に仕事の仕方が発達すれば、よりいっそうの
緻密さが必要となっていく。人間はそれに呼応するべく全神経を集中させなければならず、油断
もすきも許されない状態になるだろう。つまり、」

●「機械やシステムの改良によって高い生産性が実現されていくのに対して、人間は緻密さを保つ
だけの精神力を担保できず、休養のために休日を増やさざるをえない。幸之助は日本全体がそうし
た方向に労働の質が変化していくと見ていた」(中略)。

●しかし幸之助は、ただ休みを増やすのではなく、「一日休養、一日教養」として週休二日のうち
の一日の休日を教養の取得にあてることを社員に求めた。「週五日制」が社員にとって、産業人と
して、社会人としての向上に資するものとなることを強く望んだのである。

●「その5年後の実現を宣言して以来、一時は労働組合による反対、社員の誤解もあったが、実質的
には4年目くらいから導入の狙いが理解されるようになり、労働組合の協力も進んだ。そして幸之助
が約束した通り、1965年4月から、松下電器において「週五日制」が採用された。特に大きな問題
も起こらなかったという」

●「生産性を高める努力は政府からの要請があって行なうものでもなく、本来、経営者が創造的に追
求すべきことである。その上で、人間にとって労働がどのような意味を持つのかを考える、というの
が幸之助の視点であった。幸之助の随筆に、「働き方のくふう」という一篇がある。生産性の向上と
いう点で、それは経営者だけの問題ではなく、労働者自身の問題なのだという」

●「額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。それは東海
道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。東海道五十三次も徒
歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。それは、日
とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのでは
あるまいか」

●「人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも一時間
少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。そこに人間の働き方の進歩があるので
はなかろうか。それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、そ
の働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである」

●「額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろとい
うのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげら
れる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくる
であろう(『道をひらく』〈1968年、PHP研究所刊〉)」

●「この一文は最初、1952(昭和27)年に書かれている。幸之助が「週五日制」導入を宣言する8年
も前のことであり、ここからも元来、人間の可能性の追求が社会の繁栄につながるという人間観と社会
観を総合的に持っていたことが明らかであろう」(中略)

●「今でこそ、「モチベーション」「動機づけ」という言葉が重要視されているが、幸之助は、使命感
を持ち、働き方を工夫する一面に、内発的な動機づけの向上を求め、他方、休日を増やす宣言をするこ
とで外発的な動機づけを向上させる努力をしていたことになる」

●「そうした社員の動機づけに関する訴えも、繰り返すようだが、単に利益を上げたいがゆえの生産性
向上のためではない。みずからが営む事業が、人間の働き方の進歩により、社会にさらなる繁栄をもた
らすのだという信念にもとづくものであり、その意義や思いを常に社員と共有したいという姿勢による
ものであったろう」

●「経営者にとって、働き方改革は政治や社会の要請で迫られるものではなく、本来、自身の経営哲学
によってみずから志向するべきものであることを指摘しておきたい」・・・・

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、名古屋市内にて

“東海ケアビジネス研究会”

を開催。

終了後、明日の仕事場である静岡・沼津へ向かいます。

皆様は今日、どんな1日を過ごされるのでしょうか?

では、今日も互いに頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。