[ケアビジネスSHINKA論 Vol.3055]

孤独死の実情

警察庁が8月29日に公表した内容によると、令和7年上半期(1~6月)(暫定値)における
警察取扱死体数11万1,036体のうち、自宅において死亡した一人暮らしの人は4万913体
(36.8%)でした。
警察の発表なので、単位は“体”です。
この発表には続きがあり、そこからは高齢者に関する実態も見えてきます。
採り上げてみたいと思います。

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■■孤独死の実情
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◆冒頭の続きです。
自宅で1人で亡くなった方のうち65歳以上の高齢者は3万1525人にのぼり、75歳以上は
2万1421人で7割弱を占めています。
年齢別では85歳以上が8,315人、80?84歳が6,200人、75?79歳が6,906人だった
ようです。

◆この問題、メディアで採り上げられることもあり目や耳にする機会も多いかと思います。
そしてその背景や要因について、高齢に伴う「身体機能の低下」また「社会的孤立の進行」
にあると言われます。
もちろん主要要因であることに間違いはないでしょうし反論があるわけではないのですが、
だからといって「現代を象徴する数字、仕方ないのかなぁ」とは思えないのです。

◆警察庁の発表から別の数字をピックアップしてみます。
死亡発見までの期間をみると、65歳以上のうち「3日以内」に見つかった人は1万8,817人
で約6割を占める一方、内閣府が孤立死の目安としている死後8日以上で発見された高齢者
は8,353人にのぼります。
さらに驚くべきは、死後1ヵ月以上経ってから発見された高齢者は2,873人(1割弱)に達し
ているのです。
社会的孤独の問題が深刻化していることを示しています。

◆AIに原因分析をしてもらいました。
大別すると「社会構造的要因」と「個人的要因」であるとの分析、前者には人口動態の変化、
社会的結束の弱体化、経済格差の拡大など、また後者には健康状態の悪化、社会参加への
消極性などが指摘されました。
いずれも間違いではないでしょうが、どうも学問的・分析的な印象があり、もっと本質的
に注目するべき点もあるのではと考えてしまいます。
孤独死をゼロにすることは難しいかも知れませんが、死後8日経っても発見されない方が
ここまで大きな数字となるに至るにおいて
「誰も気が付かなかったのか?」
という点はどうしても頭に浮かんでしまいます。
もちろん身寄りや頼る人など繋がりが全くない、など事情も少なくはないと思いますが。

◆誰の責任をもって対応していくべきでしょうか。
家族?介護事業者?地域?行政?
そもそもの責務や道義的責任についてはいったん別として、それぞれ出来ることはあると
感じますが、何かアクションを起こすためには時間やお金を要します。
見合うだけの対価が得られないボランティア的な対応に期待するばかりで、この問題解決
は進むのでしょうか。
誰が負担する(責任を負う)べきなのでしょうか。

◆センサー技術の発達により、離れた場所にいても対象者のあらゆる危険や変化を受信し
て次のアクションに繋げることは、技術的には何の問題もありません。
実際に独居高齢者宅を想定したセンサー商品は多数存在しています。
でも、個人的な感覚で恐縮ながら(広まっても良いはずなのに)あまり広まらない印象を
受けています。
なぜなのでしょうか。
あまり指摘されることはありませんが、
「誰が情報をキャッチするのか」
という問題が大きのではと感じます。
センサーは、危険や異常を感知すれば週末や深夜など時間に関係なく設定された受信者に
知らせます。
危険や異常の知らせを受けた人は、もちろん無視することはできず、直ぐの行動・責任が
求められます。
平日の昼間など一般的な活動時間であれば受信可能な人は多いかも知れません。
でも実際のトラブルはそれ以外の時間帯、私たちが通常活動していない時間帯に多く起こ
り得るのです。
警備会社をはじめ対応してくれる民間事業者もありますが、当然ながら費用がかかります。
誰かが負担しなければいけません。

◆家族は行政に期待する
◆行政は地域・事業者に期待する
◆地域・事業者は家族に期待する
この矢印を自身に向けて真剣に考える必要があります。

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自分の親のことを考えます。
元気でいてくれるだろうとの思いから、気がつくと1ヶ月以上連絡していないことも。。
「便りがないのは元気な証拠」なんて、こちら側の言い分・屁理屈です。
安否確認でなくとも、たまには子供や孫の声を届けること。
それだけでも元気の維持に繋がるのであれば、意識して行いたいことです。