[ケアビジネスSHINKA論 Vol.2926]

メディア・リテラシー

みなさん、おはようございます。
金曜日のメルマガ担当、ケアビジネスパートナーズの尾添です。

連日のように、フジテレビをめぐる報道が世間を賑わせていますね。
その事件の内容については詳細が分からず、無責任なことは言えません。
ただ「メディア」そのものについては言いたいことがあります。
考えてみたいと思います。
──────────────────────────────
■■
■■メディア・リテラシー
■■
──────────────────────────────
◆そもそもメディアの役割とは何なのでしょう?
改めて色々調べてみると、その出発点は「民主主義の番人」という概念にあるようです。
もともとメディアは権力監視・情報伝達・公共圏の形成という三大機能を担うものと言われ、
ジャーナリズムの本質は権力の不正を暴き、市民に判断材料を提供することにありました。
また別の観点で、メディアは社会の知性を育む役割をも持っています。
人によって評価は様々でしょうがNHKの「クローズアップ現代」や朝日新聞の(かつての)
「天声人語」など、私も受験勉強の一環(小論文対策)として先生から薦められ、欠かさず
観ていました。
そう考えればメディアの存在意義は市場原理を超えた「公共サービス」とも言えますね。

◆一体いつのまにメディアは変質してしまったのでしょう。
記憶に新しいところでも、兵庫県知事選挙の報道で見られたような偏見報道や芸能人コメン
テーターの乱用など、見ていて不快なことが多くあります。
ニュース解説の中身よりも発言の面白さが優先されるような・・・視聴率至上主義が生む弊害で
すかね。
どこの局とは言いませんが、例えば外交問題を「芸能界のゴシップ」と同様の演出で扱って
国際関係の複雑さを単純な善悪二元論に終始させようとする番組を目にすると、このような
センセーショナリズムは視聴者に「特定国家への偏見」を醸成する危険性を孕むのではなど
心配になります。
実際に、内閣府調査ではテレビ報道への依存度が高い層ほど外交政策に関する誤認が顕著で
あることが判明しています。

◆これもよく言われますが、メディアの変質を加速させる要因の一つとして広告収入依存の
ビジネスモデルがあります。
フジテレビをめぐる報道でも採り上げられていましたが、今の民放テレビ局の収益構造から
すれば、主要スポンサーや広告代理店の意向が番組編成に及ぼす影響は小さくないはず。
この経済的圧力が、真に必要な報道よりも「視聴率が取れるコンテンツ」を優先させる構造
を生みます。
またデジタル化の進展も無関係では無く、SNS等との競合からかテレビ局は瞬間最高視聴率
を追うようになり、深い分析より炎上を誘発する過激な発言を奨励する傾向が強まっている
ように感じます。

◆日ごろから高齢者に接する機会の多い私たちにとって、懸念の一つが視聴する高齢者への
影響です。
総務省調査では、70歳以上の情報源としてテレビが85%を占めるのに対しインターネットは
22%に留まっています。
変化の兆しはありますが、現状この状況下では偏った報道による影響は計り知れません。
認知機能の衰えが進む高齢者ほど、繰り返し提示される情報を受容しやすいという心理学的
研究結果も存在します。

◆気がつけばメディア批判ばかりになっていました。。
もちろんテレビをはじめメディアの果たす役割は大きく、私たちも恩恵を受けています。
ただメディア側に倫理観を求めるばかりでは、簡単に事態は変わりません。
大手メディアであれば倫理やガバナンスなど組織的・意識的に取り組むことができるでしょ
うが、フリージャーナリストなどどうにもできない人たちも多々いますから。
そうなれば、やはり私たち視聴者側がリテラシーや意識を高めるしかありません。
フィンランドなど海外には、学校教育において「情報批判講座」なるものを組み込むなど、
小さいうちから教育する国もあるようです。
私たち視聴者自身がメディアの質的劣化を助長している面もあるはず。
何が正しいのかといった情報収集力や判断力など、メディア・リテラシー求められます。

——————————————————————————————
よくメディア(というかジャーナリスト)が使う「表現の自由」とは、単に報道機関の権利
ではなく、本来は市民・国民の「知る権利」を担保するための制度的装置なんですよね。

『ちゃんと伝えて欲しい』

繰り返されるACジャパンのCMを目にしながら、そう強く思う今日この頃です。