[ケアビジネスSHINKA論 Vol.2688]

不謹慎ながら、あの時感じたことは今の自分に間違いなく活きているように感じます。

おはようございます、

ケアビジネスパートナーズの原田です。

今日は、2024年1月17日。

私にとっては、忘れることの出来ない日です。

今から29年前に起こった、

阪神淡路大震災。

多くの方を瓦礫の中から引っ張り出したり、

先輩後輩含め、近しい友人が一気に10人も
亡くなったことは、

今尚、色褪せない記憶として残っています。

勿論、365日中それらのことを思い出したり、

考えたりしている訳ではないですが、

今回の能登地震にも想いを馳せつつ、

せめて今日ぐらいはあの日のことを思い出し、

災害で亡くなった方々のご冥福をあらためてお祈りすると共に、

今、こうして生きていられることが決して

“当たり前”

ではないことをしっかりと自覚し、

生きていること、それだけに感謝しつつ、

一歩一歩、前へ進んでまいりたいと思います。

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では、本日のメルマガに入らせていただきます。

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■■不謹慎ながら、あの時感じたことは今の自分に間違いなく活きているように感じます。
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●引き続きで恐縮ですが、今日は阪神淡路大震災から29年目。冒頭にも記載させていただ
いた通り、あの日の景色や町の匂い、道行く方々の表情等は今尚、鮮明に私の目と心の奥
に焼き付いています。

●当時、24歳だった私は何とかケガもなく助かり、「これはまずい。物資を調達しなけれ
ば」と思い、被災した日の翌日に一路、車で大阪へ。崩れ落ちた、信じられない地元の光
景に胸を締め付けられそうになりつつ、12時間以上かけて何とか大阪・梅田辺りまで辿り
着きました。しかしそんな時。衝撃の光景を目にします。

●それは、ほぼ通常の空気感で過ごしている(ように当時の私には感じられました)賑や
かな大阪の町でした。カラオケボックスには人が群がり、飲んだ後なのか、笑顔で大騒ぎ
しながら歩く人々たち。勿論、彼らが悪い訳ではありませんが、当時の私は若気の至り含
め、運転しながら無性に苛立ちを覚えていました。

●しかし、そんな時。ふと、もう一人の自分が私自身に声をかけてきます「20キロぐらい
しか離れていない西宮(私の地元)の町では物資は勿論、水道も電気もなく、不安・危険
な時間を過ごしているのに、この町の光景は確かにやりきれないし、腹立たしいよな」

●「でもさ、よく考えてみなよ。お前もその前の地震、例えば数年前に起こった奥尻島の
地震(1993年)とかの時には同じような感じだったんじゃない?「大変だよな」「大丈夫
かな」と言葉では言っていたかもしれないけれど、その時、どうだった?言葉はきついけ
ど、結局は他人事だったんじゃないの?そんなお前が大阪の人を責められる?」・・・・

●・・・・それ以来、私には次のような思考の“型”が身についたように思います「人の痛みな
んて、100%同じ体験を重ねない限り、究極、分かることは無理かもしれないし、簡単に、
分かる、なんていう言葉はおこがましくて使ってはいけないものなのかもしれない」

●「でも、だからこそ、どこまで相手の状況や心に想いを馳せ、どこまで“自分事”として
一生懸命考え、具体的に動けるか?それが本当の“優しさ”なのかもしれないし、人が人を
“想う”ということなのかもしれない」・・・・誠に不謹慎ながら、今に続くこの想いは間違い
なく、この経験に端を発しているように思います。

●社員との関係においても、或いは外部パートナー・仲間との関係においても、同じこと
が言えるのかもしれません。この想いを決して忘れることなく、勿論、自分自身のことも
大切しながら、あらためて“心豊かに”過ごす1年でありたいものだな。ふと、そんなことが
頭を過った、2024年1月17日(水)の午前5時46分でした。

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、午前中はオンラインミーティング。

午後は福岡市内、そして福岡市近郊の町で、

と2件のリアルミーティングが続きます。

皆様は本日、どのような1日をお過ごしになられるのでしょうか?

では、互いに充実した1日となるよう、今日も共に頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。