[ケアビジネスSHINKA論 Vol.847]

この中小企業の事例から何を学ぶか。

おはようございます、

(株)ケアビジネスパートナーズ の
原田です。

認知症の徘徊事故に関し、

神戸市が

“独自の救済制度を創設する”

と発表しているようですね。

具体的には、裁判で確定した賠償額の一部を負担し、
当事者を支援する仕組みを想定。

賛同する人に加入してもらい掛け金を集める共済制度
とする案や、

市費を財源とする給付金制度を設ける案などを
検討されているそうです。

とても有意義かつ興味深いこの取り組み、

今後も情報を追いかけていきたいと思います。
(と言うか、国レベルでもっと考えていくべき
ことなのかもしれませんね)

では、本日のメルマガの中身に入らせていただきます。

今日の視点──────────────────────────────
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■■この中小企業の事例から何を学ぶか。
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●昨日、ネットニュースをいつも通り眺めていた時に、「この記事、前向きな介護経営者の皆様にとって、大変参考になる内容が含まれているなぁ」と感じた記事に出会いました。全く異なる業界の話ですが、経営の考え方や成長のプロセス等、とても勉強になる部分が多い、と感じましたので、是非、本日のメルマガで共有させていただきたいと思います。「2万円のスリッパ」を製造している、中小企業のお話です(かなりの長文ですので、覚悟してお読み下さいませ^^)。

●今、「2万円の最高級スリッパ」に注文が殺到している。注文主は、高級旅館・ホテル、美術館など。もちろん個人の顧客もいる。数ヵ月待ちの商品もあるが、「それでもかまわない」と待つ人が少なくない。このスリッパを作っているのが、山形県河北町にある阿部産業だ。

●河北町は山形県のほぼ中央部にある人口1万9000人ほどの小さな町で、昭和の時代には日本一のスリッパ産地として栄えた(以下、割愛)。しかし、平成以降、アジアをはじめとした途上国からの低価格な輸入製品に押され、最盛期に32社あったスリッパ製造会社も、今では6社に減少してしまう。そうした逆境の中、なぜ阿部産業は今も国産スリッパで生き残り続けるどころか、一流の顧客から注文が相次ぐようになったのか。阿部産業を訪ねた。

●山形空港から最上川を渡り、車で10分ほど行ったところに阿部産業はある。2階の工場では20人ほどの女性の職人がミシンなどを使って1つ1つスリッパを作っている。夏の暑い季節に訪ねたが、工場には基本的に冷房がなく、窓を開けて作業をしているため、小気味よいミシンの音が外まで響いていた。

●阿部産業の創業は大正8年。農業の副業として草履問屋を始め、まもなく生産を開始するが、昭和40年頃から時代の流れを受けてスリッパ製造へとシフトした。当時は高度経済成長真っ只中。作れば売れるような時代で、正直なところ、品質の低いスリッパでも売れたかもしれない。

●ただその頃から阿部産業の二代目・阿部才吉さんは「東京で使われる、いいものじゃないとダメだ」と高品質スリッパにこだわり続けた。最初から東京の高級百貨店向けに商品を卸す問屋と付き合いを続け、夫婦で東京へ修行にも行ったという。

●「当時は安い商品だとスポンジ底を使う、かかとが低いものが多く、単価は200~500円くらいだったでしょうか。でも父は当時から東京の資材屋で、例えばモケット生地のような良い材料を調達し、単価1500円ほどの商品を作っていました。東京の問屋さんと付き合うことで、市場が何を求めているか分かっていたのかもしれません」こう語るのは現在、阿部産業の社長を務める三代目・阿部弘俊さんだ。数十年前から高品質なスリッパで差別化を図り、量産しないポリシーを守り続けてきた阿部産業だが、それでも海外の安価なスリッパとの価格競争に巻き込まれてしまう。大手百貨店で販売されているブランドもののスリッパさえ、生産拠点を中国などへ奪われてしまっていたからだ。

●「ならば、自分たちにしか作れないオリジナル商品を作ろう」阿部産業のオリジナルスリッパ作りが始まった。「もともと阿部産業ならではのオリジナル商品を企画することはあったんです。でも基本的には問屋がほしいというものを作ってきました。ですから、コンセプトや価格も決めるような完全なオリジナル商品をつくるのは初めてでしたね」(阿部宏子さん)

●弘俊さんの妻であり専務の宏子さんは、子育てが一段落した2000年頃から阿部産業で本格的に仕事を始めたが、ずっと心に刻んでいるのが「絶対安いものは作らない」「品質が第一」という先代の思いだ。そんな思いを持ちつつ、これから生き残りを図るうえで完全なオリジナル商品を作ろうと、2007年、山形県工業技術センターの紹介で「山形エクセレントデザイン塾」に参加する。

●そこで出会ったのが、デザイナーの山田節子さん。大手百貨店を中心に様々な商品を作ってきた山田さんの指導を受け、早速商品企画を始める。もちろん最初は試行錯誤だったが、山田さんの自宅にも通いながら学んだ。そして、山田さんからのアドバイスで地場産業の交流として、米沢織とのコラボ商品開発を思い立つ。完成したのが「HAKAMA JITATE」だった。

●「HAKAMA JITATE」は、地元山形の「米沢織り」から作られる丈夫な「袴地」とのコラボレーション商品。中敷きには畳のような感触の人工素材を使っており、さらっとした履き心地が気持ちいい。その後、ロンドン在住のデザイナー和井内京子さんとコラボレーションし、スリッパだけではなく、バッグやベンチといった商品も手掛け、ロンドンで販売された。現在、スリッパは8200円で販売されているが、これに高級旅館やホテルをはじめ、お寺やセレクトショップ、意外なところではサントリー美術館から注文が寄せられているという。

●次いで生まれた「HaWrap(ハラッパ)」は、部材がたくさん必要かつ複雑な工程の多いスリッパを、シンプルな構造にし、簡単に接合するだけで履けるようにしたもの。1枚の葉っぱで足を包むような革命的なデザインが特徴で、履き心地も快適だ。こうして生まれた「HaWrap」は2009年山形エクセレントデザイン奨励賞を受賞、「HAKAMA JITATE」は山形エクセレントデザイン2011年「エクセレントデザイン大賞」を受賞する。

●そして、2人がデザインを学び始めてからたった2年、2009年グッドデザインアワードで日本商工会議所会頭賞を受賞したのが、「KINUHAKI」だった。これは「HAKAMA JITATE」の最上級として作られたもので、最高級の絹で米沢織り職人が織り上げた袴地を使っており、シリーズで一番高い「KINUHAKI 無双」(LLサイズ)はなんと2万円の最高級品。それでも高級旅館や「定年退職のお祝いなどで購入してくださる方がいる」(宏子さん)など、ここぞの一品として選ばれている。2014年6月に秋篠宮妃紀子さまと眞子さまが河北町の紅花資料館を訪問された際、「KINUHAKI」を履き、土産品として持ち帰ったことでも話題になった。

●なぜ良い商品を作っているのに売れないのか――。そんな悩みを持つ地方企業は少なくないが、その多くに共通するのが、「商品コンセプト」と「デザイン力」の欠如だろう。地方でお土産を買った時、「この商品、パッケージを変えるだけで売れるのに…」と思った経験のある人はいるはず。一方で、阿部産業は自らに足りなかったデザイン力を「デザイン塾」での学び、外部のデザイナーとのコラボレーションで補うことに成功した。ただ、もちろんデザイン力だけで成功はできない。「品質第一」にこだわり続けてきた歴史的背景と地場産業とのコラボレーションがあったからこそ、阿部産業はスリッパメーカーとして今も選ばれ続けているのだ

●現在、26名の社員と20名の内職の手を借りて、年間21万足をつくるという同社。以前は9割以上問屋に商品を卸していたが、近年バブーシュタイプのスリッパ人気もあり、今では直接インテリアショップなどに納めることも増え、ここ1、2年は20~30%が直取引に。「問屋さんを通さない商品が増えたことで、消費者の声が掴みやすくなった」と弘俊さんは語る。ただ、阿部産業オリジナル商品には非常に高度な技が必要で、現在修行中の職人がいるものの、「HAKAMA JITATE」「KINUBAKI」などの高級スリッパを作れるのはこの道約40年の工場長・太田洋子さん一人だという。

●「こうした事情もあってオリジナル商品の受注は、数ヵ月待ちになることもあります。そこでお客様に『今はお受けできませんが、数ヵ月後なら可能かもしれません』とお伝えすると『もういいや』となるかと思ったら、本当に数ヵ月後に『そろそろ作っていただけますか?』と連絡があることも。根気強く待ってくださる方がいらっしゃるんです」(弘俊さん)

●現在、河北町はスリッパのブランド化に動き始めている。阿部産業のみならず、6社全体「山形県スリッパ工業組合」でスリッパの街として盛り上げていこうとしているのだ。この動きを支えているのが河北町商工会の芦埜貴之さん。2014年6月から商工会と6社で連携して『かほくスリッパブランド化計画』開始し、「かほくスリッパ」という統一ロゴをつけることで、海外産と差別化された高品質なスリッパであることをアピールしている。

●「河北町のスリッパの品質は、海外製とは全く違う高いものばかり。でも、自分たちはすごいものを作っているという自覚がないんです。それに、河北町に住んでいる人の多くが“河北町はスリッパの町”だと知らない。だからこそ、ブランド化してまずは町の人に知ってもらいたい」(芦埜さん)

●河北町スリッパ界でも先端をはしる阿部産業は、すでに次のステージを目指している。オリジナル商品を多数作ってきたが、最近は“自分が履きたいスリッパ”を作りたいと「麻のスリッパ さふら」を生み出した。「とにかく自分が履いて気持ちいいスリッパを作りたかったんです。それから、河北町は紅花の町でもあります。なので、紅花で染めた糸をアクセントに使って、河北町全体のPRにつながるようにしています。いい色でしょ?」(弘俊さん)

●そんな弘俊さんの夢は、河北町を“スリッパの聖地”にすること。現在でも、阿部産業に直接スリッパを購入しに来る個人の顧客がいるというが、店舗があるわけではない。「2年前、今治タオルで有名な愛媛県今治市に視察旅行に行ったんです。そのとき、タオル産業と観光が一体化しているのを見て、とても勉強になりました。でも今、河北町には、かほくのスリッパを売っている場所さえない。それでも、お客様は直接うちに買いに来てくださる。なら、店舗だけでなく、自分好みのスリッパをその場で作れる“オーダーメイド体験”ができる場をつくったら、喜んでもらえるかなと思っています」(弘俊さん)

●近年、内履きに履き替える習慣のなかった欧米諸国でも、内履きの魅力に気づく人が増えてきている。「百貨店のバイヤーも今、外国人観光客向けの内履き(スリッパ)を探しているようだ」と芦埜さんが語るように、今が国産スリッパ海外進出のチャンスともいえる。

●日本を訪れる外国人観光客の関心が“モノ”から“コト”へと移り始めた今。心地よい感触と快適な住生活を与えてくれる河北町のスリッパが、彼らから見て日本の“新名産”になる日は、遠くないかも。

(ダイヤモンド・オンライン編集部 林恭子)

引用元記事はこちら

http://diamond.jp/articles/-/103031

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●皆様は上記の文章を読まれてどのようにお感じになりましたでしょうか?

  • 世の中の流れに安易に流されることなく、“何を正しいと信じるのか”“自社は一体何がし
    たいのか”という“こだわり”に忠実にビジネスを展開してきた事
  • とはいえ意固地になる訳ではなく、環境の変化を冷静に受け止め、自社を革新させることに対し、リスクも取りながら果敢にチャレンジしてきた事
  • “自社に何が足りないのか”を理解するために、内にこもることなく、外の世界から謙虚に学びを得ようとしたこと
  • “こだわり”を重視しつつも旧態依然とした発想にとらわれることなく、より価値高いものを生み出すために、積極的に外部資源との連携を図った事
  • 事業を“(地域)社会”の視点で見つめ、更なる革新を遂げようとしていること

、、、、、、、、、まだまだ沢山あるかと思います。上記記事を読まれて私と同様、「面白い」とお感じになられた方は、「自社にどう活かせるか?」についてあらためてノートに走り書き、まとめてみても良いかも知れませんね。

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以上、何かのお役に立てれば幸いです。

今日は、都心でデスクワーク&打合せが続きます。

皆さんは今日、どんな1日を過ごされるのでしょうか?

では、今日も互いに頑張ってまいりましょう!

今朝もお付き合いいただき、ありがとうございました。